おねむな日記

大人の定義と幸せについて考えてみた

どうも間嶋コタローです!

こんなツイートを3連続でしちゃった!

 

僕の上司を含め、病的な大人が多いと思う今日この頃。

いったい何に追われてるんだろうか。なぜこんなにも他人に厳しいのだろうか。できるだけ周囲に迷惑をかけず(被害妄想の激しい人は減らせないが)、楽しく生きることがそんなに難しいことなのか。

100%の幸せを求めず、80%の幸せで十分であり、残りの20%で少し人助けをし、みんながちょっと幸せという世の中が、一番良い。

それを、120%の幸せを求めるから、上澄みの20%を他人から奪おうとする。こちらの方が多数派だから、幸せが足りなくなる。20%を譲る人は限られてるから、そこに集中する。譲る人の幸せが足りなくなる。

奪った側も、奪った幸せでは豊かになれない。他人から奪ったものは簡単に捨てる。奪うな奪うな。強引なんだよ。足りないものは諦めるか、他人に譲ってもらえ。それが、人間関係の醍醐味だ。

一人で80%の幸せを掴める人は、勝ち組だ。

大抵の人は、一人で30%程度(僕の感覚)しか確保できず、残りの70%、否!90%(120%とすると)を他人から奪おうとする輩が多数、本当に多数存在するのだ。

幸せは、奪うものではありません。そして奪えません。奪っても消えます。
与えることしかできないものです。

仕事のことを考えず、家族全員が健康であれば幸せです。

仕事のことを考えず、喫茶店でモーニングを食べれたら幸せです。

仕事のことを考えず、メダルゲームを1時間できたら幸せです。

ブログを書く時間があれば幸せです。

週1回ハイボールを飲めたら幸せです。

テニスしたいです。

嫁さんとデートしたいです。

任天堂switchとか欲しいです。

地元の友達とご飯行きたいです。

……あかん、言い出したらキリがないわ。

今の幸せは、自分の中で作れていますか?

それとも、他人から奪ったものですか?

僕は無宗教でございます。

おわり

 

ABOUT ME
間嶋コタロー
人見知り×ガリガリ×努力できない×部屋汚い×勉強不足 全てが凡人以下の30代男がブログを通じて10%の底上げを企む。 2020年東京オリンピックが終わるころには結果がでていることだろう。