どうも間嶋コタローです!
こんなツイートをしてみた!
子供は大人とは比べ物にならないぐらい現実を直視するし、大人の得意な屁理屈や誤魔化しは、逆に傷付けちゃうんですよね。悔しがることは悪くないし、これ親ができることって、何もないんやなって思いました。まぁそんな感じで考えたことをまた記事に書いてみよっと!
— 間嶋コタロー (@ActionKamen03) September 22, 2019
6歳の娘の運動会を見に行く
運動会シーズン真っ最中ですね。
僕の家は田舎なので、市民運動会(小学校の運動会)、町内の運動会、こども園の運動会と3つあります。
昨日は市民運動会があり、娘もこども園から参加することになっている。
ちゃんとこどもだけで観覧し、まぁ小学校に入ってからの練習みたいなことをするわけです。
娘が出る競技はかけっこのみ。後は、見てるだけ。
去年もかけっこだけあったんですが、去年よりも距離が長くなり、それだけで、娘のちょっとした成長を感じられるわけです。「去年より長く走ってるや~ん!」です。当たり前なんですが、ただ走ってるだけでかわいいのあります。
かけっこでビリになる
いよいよ娘のかけっこの番。
ピストルもなく、先生の『よーいドン!』で、4人ずつ走っていく。
みんなニコニコしながら、白熱するわけでもなく、ただみんなと走るのが楽しい~かわいい~みたいな感じで大人は見てるわけです。
娘はというと、ニコニコしながら、ビリでゴール。
別に親は順位を気にするわけでもなく、ただスタートして、ゴールすることに感動するわけです。
僕の娘のタイプは、前に出るタイプでもなく(今の所ね!)、よーいドンの掛け声と共にスタートするわけでもなく、みんながスタートしてから、自分もスタートするという、自分の判断でスタートする自信はまだないわけです。要はスタートでメチャクチャ出遅れた、ただそれだけの話です。
子供の足で、しかも50mもない距離ですから、スタートの出遅れは、そのまま順位に表れる。ただそれだけのことでした。
子供の観覧席に、「おいっす!お疲れ!」を言いに行ったら、娘が僕の顔を見た瞬間泣きそうになる。
小学校の運動会のプログラムが終わると、こども園の子供も解散。
僕は迎えに行って、色々と話をする。
僕の第一声は『頑張ったな!速かったやん!』
これがダメだった…
親の小手先の励ましなどでは納得しない
ほとんどの親がこうやって対応するはず。
だって、本当に頑張ったし、小さいころから見てるから明らかに『速くなってる』んだから。
でも子供からしたら、『ぜんぜんはやくない!さいごやった!泣)』となるわけです。
まぁ相対的か、絶対的評価なのかの話です。
とにかく子供は、大人より、ずっとずっと現実を直視している。
そこに蓋をするべきではないんやとホンマに思いましたね。一緒に現実を見てあげる。
大人は屁理屈で言い訳したり、誤魔化したりするのが上手いですから。
「そんなこと気にするな☆」と爽やかに言っても、大人がその場しのぎで楽をしたいのはバレますからね!
結局どうすればよかったか?
まぁ子育てに正解はないのはわかってるんだけど、自分なりに考えるのは大切かなと思って。
小学校に行けば、子供は自分で行動しないといけない分、たくさんのことで悩むと思う。そうなると、親も悩む。まぁ悩んでも仕方ないことの方が多くて、親ができることなんてたかが知れている。
自分が子供の時にあまりできない子だったからよくわかる。子供の話を遮るのは最悪だし、質問攻めはうっとおしい。
大人が答えを出しても、子供は納得しない。うちの子は自分で答えを出したいみたい。
結局は子供を信じれるか、いかに親が受け身になれるかどうか、子供主体で進められるかどうか。
明日の仕事のことを考えたら、スパッと屁理屈こねて答えを出したい気持ちもわかるが。
僕は、結局の所、話を全部遮らずに聴いた。「足が滑った!」とか変な言い訳もちょこちょこあったけど、それはご愛嬌で!笑
あとは前よりも出来ている所を少し伝えた。それぐらいですね。休みの日は子供とよく公園に行くから、走り方が上手になってるのはわかったので、それは普段遊びに行っててよかったなぁ。
これからも、こどもとの接し方で色々悩むと思うけど、その都度反省しながら、できるだけ『大人の誤魔化し』は使わずに進んでいけたらいいなぁ。
終わり